「漆の強さ」から話を広げ ③ 技法の「合理性」とは

(続き)
話が長くなってきましたが、
手間を掛け過ぎて価格に見合わなくなった作品は、社会性を得にくくなる。
言い換えれば制法・技法における「合理性」が無いものは、素材・材料の「正当な価値」を引き出せていないのでは・・・、と思うに至りました。それは材料を無駄に使うことになりかねません。
作家活動というのは経済的にも過酷だったりするので、無駄を避ける要領の良さは重要でもあります。

ところでこれは、いわゆる「量産的・工業的に効率の良い」合理性の話をしているのではありません。
これは「作家という立場の人が追求する」合理性、いうなれば「技術と表現の狭間で揺れる」合理性の話です。
もしくはこの文章より引用しますが、「表現と技術が同調していった結果の作品の進化を促す」合理性と言っても良いのかと思います。

その合理性ですが、それが行き過ぎると作家性が弱まるのではないか・・・と、昔は考えていました。
合理性は一貫したベクトルを向いているイメージがあり(正統すぎる・伝統色が強すぎる・異端では無いからオリジナリティが無い・・・・など)、それが作家性(個性)を弱くすると思い込んでいたのです。
作家性というものが、何となく「少し無茶してる」とか、「アクが強い」「くせがあるもの」だと思っていたのかもしれません(なんか若いですね)。

今ではそういうものでも無いと思っています。
むしろ技法を知り尽くし、そこから独自の合理性を生み出した作家は、他者が真似できない制法を編み出したといえます。
それはとても作家性が強いことなのではないでしょうか。

技法の「合理性」が、作家の個性を作っていくこともあると思います。

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
とりあえずひと区切りにて。

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